鍼灸師が教える武術気功・鍼禅(鍼灸と立禅)

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23 Aug 2021

8月30日の練習について

この日は「中高年のための立禅講座」と題して、武術的要素はなくして、酷使してきた身体をほぐしたり、錆び付いて動きが鈍くなった関節を緩めるための練習メインに行います。


立禅の理論を用いたストレッチや骨盤調整法など、やります。

27 May 2021

正しく歩くことで全身が効率良く動く

身体を機能的に効率良く使うことができれば、日々の生活での疲れや身体の負担は大幅に軽減される。
身体を上手く使いこなせば、歳を重ねても充分健康で楽しい毎日を過ごせる。

それには、正しく立てることであり、正しく歩くこと!

歩く時、地面に接した足の形に体重が載ることで筋肉に力が入り、電気的な変化が起こる
 ⇨この時の力加減は、体を動かす際に敏感に情報収集している箇所に刺激を与えることで、電気的な動きを引き出し、自然な動きを再現する
 全身をバランスよく協調させることで体幹が安定して機能的な体重移動が可能となる。
 それには骨盤にしっかり体幹が載らないといけない。

現代人の過ごす環境は舗装されたきれいな路面を歩くことが多いが、
平らな舗装道路を歩く分には、股関節だけを使って足さえ前に送り出していけば歩けてしまう。
 山道など歩きにくい斜面を歩く際には、足にしっかり骨盤から体を載せていくようにしないと歩けない
本当の歩き方は、山道を歩くように運んだ足に体重を乗せること。
足だけ運んだ歩き方は、股関節から足を動かす。
でも歩く度に骨盤が動けば腰の周辺の筋肉も動き、正常な状態を保つ。また傾斜がきつければ、体を足に乗せるために姿勢も正しくなる。人工的な環境(きれいな路面)では、楽な場所なので、その必要がないので横着に歩いてしまう。
なので長時間歩いたりすると疲れが出たり痛みが発生する。


 その正しい歩き方を身につける術が武術の稽古法にある。
 それが太氣拳や意拳においては「這」「摩擦歩」という稽古法なのである。
 

武術の稽古は闘うためだけではなく、現代では正しい身体の動かし方を身につけるものとして活用していけばいいのである。
22 May 2021

身体の仕組みを理解しないと怪我をする


人の体は骨が支え、体が動く時に骨も一緒に動く。動きに繋がりが少なければ、筋肉だけが動こうとし、体の奥にある骨は上手に動かない。本来一緒に動くはずの2つの動きに誤差が生じれば、体の動き、そして健康にも問題が生じる。

 力を出す時に、そして歪んだ体を元に戻す時には、骨格に着目して、骨格を動かす運動をすると効果が高まる。筋肉だけを意識するより遥かに高い効果がある。

 

 つまり、各関節がスムーズに滞りなく稼働すれば、人の動き・運動はストレスなく行える。

 身体を鍛える際に、体幹や筋肉を意識したトレーニングが主流になっているが、関節の稼働域に障害があればトレーニングにおける効果も薄れてしまうように思います。


 なので自分の関節がどれぐらいの稼働域にあるのか(人間の骨は206個あって、その骨は何らかの形の関節を形成しています)、全ての関節がスムーズに動くのかを理解して、その部分を専門家に調整してもらった上でトレーニングを行った方がいいでしょう。


 そして「身体を緩める方法」ことと「自分の体重を技に載せる方法」を身につける事が必要かと思います。


 中国武術の基本功にはそれを身につけるエッセンスが含まれています。実戦で使えないとか様々にバカにされやすいところもある中国武術ですが練習法はいいものもあるので検討されてもいいのではないでしょうか。

29 Apr 2021

お知らせ

 緊急事態宣言下にあり、新型コロナウイルスの感染拡大が衰えないなかで、日々不都合な生活をされてると思います。

 当方の稽古も感染対策をしつつ、継続して行っていますが、6月より練習日が変更になります。

 今まで毎週火曜日に行っていた練習を月曜日に変更いたします。

 時間と場所は従来通りとなります。

 よろしくお願いします。


22 Mar 2021

養生運動としての立禅

養生運動は外見の美しさのみを追求するものでも、他人に見せびらかすものでもありません。ただ穏やかに自分の生命と向き合うためのトレーニングで、まず心を養うことから始まります。

  全ての悩みは心の持ち方で生まれてくるといってもいいぐらいです。悩みが深まれば深まるほど身体の調子は崩れ、病気の元になってしまいます。

  「怒り」「喜び」「考え過ぎる」「憂い悲しむ」「びくびくする」のが過ぎると五臓の不調を招いて、それぞれの病気を引き起こしてしまいます。

 

 でも悩みなどがなければ人は成長できないということも言えます。「怒り」の感情が「何くそ!」という発奮剤となりモチベーションが上がるということも経験したこともあるでしょう。

 ある意味、悩みやストレスは人生の糧になるのですが、何事にも“過ぎる”ことは良くありません。悩みを“智慧(うまく処理していく能力)“に変えなければ意味がなく、身体の不調を招きます。

 

 悩みを”智慧“に変えることが心を養う「養心」の第一歩です。

 充実した人生を送るためには、まず自分の身体と心を知らなければならない。心身共に養うには、その人の身体能力と目的に合った運動が必要です。

 身体の鍛え方を間違えると薬を飲み間違えた時と同じように、本来目指しているものを見失い、時には命をも脅かされる危険なことにもなりかねない。

 

 大量の汗をかくような運動は一時的な快感を得ることができたとしても、身体が受ける負担が大きくなります。

 なぜ行き過ぎた運動や大量の汗をかくことが身体の健康を脅かすのか?

 その原因は体内の陽気のバランスにある。運動によって作られた熱は、一旦エネルギーとなって全身に伝わっていくが、せっかく蓄えられたエネルギーも大量の汗と一緒に外に漏れてしまうことがある。

 

 体内の陰陽のバランスを保つために夏場に汗を出して体温を調整する理由はここにある。しかしむやみに汗をかけばいいという訳ではない。熱が失われるので体温は下がり身体はだるくなってしまう。

 運動したのに疲労感を感じてしまうのはこのせいである。

 なので、熱を適度に発し逃す手前の状態でエネルギーを溜めれば、人間が必要なエネルギー源を最高の状態で保つことができる。

 

 養生運動の大きな特徴の一つは、運動において余分な熱を出すことなく体の表面に熱を留まらせられることです。

 



 古くから伝わる養生のコツで紀元前に書かれた『黄帝内経・素問』にも記されている。

「運動していて汗が出そうになったら、それ以上激しい運動はしないこと」

「自然のリズム、気温の変化に逆らわずに過ごすこと」

 


 站椿功(立禅)は養生運動として最適なもの。

 意拳の創始者・王向斎は80年前から、「黄帝内経」の理念を取り入れ、武術と養生の関係性とその秘密を解き明かし、行き過ぎた運動が体に与える弊害について指摘していた。

 そして、この考え方に基づいて考案された合理的な拳法が意拳であり、動けば動くほど力がみなぎってくるという点で体力を消耗させるトレーニングとは大きな違いがある。

 站椿功(立禅)によって作られた熱は、長い時間かけて体内から外に出されていくので、適度な熱だけが体の表面に保たれて、エネルギーを使い続ける身体にとって最も合理的な状態を作ることができる。

 立禅を運動として行うと心拍数が上がったり呼吸が速くなることもなく、自分の感情やイメージを単純な動きと組み合わせることで、我々に与えられた生命の可能性(潜在能力)を引き出すためのものです。

11 Mar 2021

火曜日稽古、通常通り再開します。

大阪の緊急事態宣言の解除に伴い、練習を再開いたします。

なお、稽古中は変わらずマスク着用を徹底して行います。

よろしくお願いします。

1 Mar 2021
12 Jan 2021

緊急事態宣言

大阪でも緊急事態宣言が発令されるにあたって、上新庄での練習も一応2月7日の解除まで中止いたします。

 練習再開はまた告知致します。

 よろしくお願いします。

21 Nov 2020

鍼禅の武術気功のベースになっている意拳についての説明

 人類は文明世界を創造し、発展してきた。人類のたゆまぬ努力によって、今の世界にはないものはないほど物質は、豊富で多彩である。科学技術が高度に発展し、産業界も日増しに発展している。

 運動やスポーツも同じである。人類は自分たちのために数え切れないほどの運動種目を開発し、体力増強とともに娯楽をも楽しむことで、心身の向上をになっている。健康がなければ、偉大な事業もない。健康というものが非常に重要であることは誰でも分かっている。

 それには健康な体を保つための正当な運動をすることが重要になってくる。


 意拳の宗師王向齋先生がいうには、正当な運動とは、全身の細胞と各種の器官が高度な新陳代謝を行い、呼吸と血液の循環を促進し、体内のエネルギーを増強する。そして、体内の気血を動きやすい状態にさせる。

 つまり、適当な運動は細胞に一定の刺激を与えることによって、未成年者には成長の促進と体力増強をもたらし、成人者には人体機能の維持によって健康な体力をもたらす。

 しかし、運動不足でも、運動過剰でも、健康を害し、病気とケガの原因となる。現在、一般的な運動は筋肉が疲れるまで行うことが多く、心臓に大きな負担がかかり途中で運動を中止せざるを得ないことがある。


 意拳は、一般のスポーツとはまったく違う方法で運動するのである。

 この運動は筋、肉、気、血の運動であり、もっと具体的にいえば、細胞の運動でもある。その運動によって、全身の細胞を平均かつ同時に発展させることを原則とし、その場で全身の筋肉が耐えられない疲労状態になっても心臓の鼓動や呼吸を正常のままに維持できる。

 逆に、運動する前より、呼吸が楽になる一方で、人間それぞれの筋肉と心臓に負担のかかる範囲の能力にしたがって、体を平均的に次第に強化することができる。

 また、意拳には套路(型)がないため、運動のとき、脳神経への刺激と緊張がないばかりか、ストレスを取り、回復の効果もある。年齢と性別に関係なく、誰でもでき、健康維持と体力増強の目的を達成できる。


 現代のスポーツ運動は、強固な意志、丈夫な体、調和のとれた動作、多変的な敏捷性、および種々の力、いいかえれば、爆発力、弾力性、跳躍力、バランス、体力、耐力等を要求される。

 例えば、陸上競技の走り高跳び、走り幅跳びのジャンプ、跳躍動作、長・短距離競争のスタートとラストスパート、各種の球技運動、体操、ボクシング、フェンシング、レスリング、重量挙げ、特に日本人の好きな野球、柔道、剣道、空手など、みんな身体運動の中に、筋肉の調節、迅速な反応、動作の調和、多変的な敏捷性などの高度な要求がある。そして、その力と動作は人体骨の合理的な支撲、筋肉の緩緊の調節から得られる。


 意拳の訓練は站椿(站柱は略字)からスタートし、まず内臓、骨、筋、気、筋肉の緩、緊を鍛練する。

 意拳の意は、精神のイメージの意味である。主に拳法訓練の中にイメージコントロールを主動的な役割として用いることを強調する。


 人間のすべての行動は、頭の中の考え(脳)によって動いている。意拳はこの原理にしたがって鍛練するのである。

 さまざまな特定のイメージによる訓練だといえる。現在、欧米ではイメージ療法によって病気を治療する例は非常に多く、イメージの研究と人体開発は世界の潮流になっている。

 意拳はイメージと体の動きとをうまく結びつけて、力を掘り起こし、自己の能力開

発をはかることを目的としている。

2 Nov 2020

王向斎先生 習拳一得より

健康ということと運動や武術のあり方について、王薌齊先生が書かれた「習拳一得」。

訳文ですが、久しぶり読むと「なるほど!」と思うことが多く書かれていて勉強になります。

この文は我々一般の方にも為になるものだと思いますので、2,3回に分けて載せてみたいと思います。ぜひお役立てください。

通常說有了健康的身體,才有偉大的事業,意思就是人的身體健康,生命得以延長,而後才能從事一切事業,所以說,健康是非常重要的。而健康與否,在於平常休養和運動的得不得當,也就是運動合於衛生或不合於衛生,須要詳加研討,並經實際的考驗。究竟怎樣才是得當的運動呢?應於練習某種運動前根據醫學的方法檢查心臟的能力、血壓的高低、脈搏與呼吸的次數、紅白血球的數量。至練習一個相當時期以後,再行檢查,自然就知道這種運動得當不得當。所謂得當的運動是適應人體自然發展的運動,惟有適合這種規律的運動,才能增強人體的健康。 得當的運動能使全身的細胞及各個器官產生高度的新陳代謝的作用,促進血液迴圈,增加體內燃燒作用。換言之就是使身體內部呈現活動狀態。因此得當的運動,可以給予細胞以一定的刺激。對在成長期者可以促進其成長,增強體力;對已經成長者可以使之維持其效能,因而保持體力與健康。若運動不當,必然招致相反的結果,也就是產生疾病的誘因。

 

健康な体があってこそ偉大な事業がなし遂げられると、よく言われているが、それは体が健康ならば、命を長らえることも、さまざまな仕事にたずさわることもできるわけで、そうした意味から健康はひじょうに重要という意味である。

健康か病弱かのわかれめは、平常の養生や運動が当を得ているかどうかによって決まる。 運動が生理に合っているかどうか、詳しく検討し、実際に検証する必要もある。正常な運動というのはどういうものか。

まず、いずれかの運動を始めるまえに、医学的な方法に基づいて、心機能、血圧および脈拍、呼吸の回数、赤血球、白血球の状態を検査し、運動を一時期続けたあと再検査をおこなう。そうすれば、その種の運動が適当かどうかが分かる。適当な運動とは人体の自然発展に適応した運動であり、この種の法則に適合した運動であってこそ、人体の健康を促進できる。

正当な運動は、全身の細胞や各種器官の新陳代謝をよくし、呼吸や血液の循環を促し、体内の燃焼作用を強化する。言葉を変えていえば、体の内部を活性化した状態にする。そうした意味から適当な運動は細胞に一定の刺激をあたえ、成長期にある者にとっては、その成長を促し、体力を増強する。また成長の終わった者に対しては、機能を維持し、体力や健康を保持する作用がある。もし、運動不足であれば、当然その反対の結果を招くことになり、運動が過ぎたり、適当でなかったりすれば、健康を害するばかりでなく、体に害をおよぼし、疾病にかかる原因をつくることになる。

現在、一般に行われている運動は、筋肉が疲労するまえに、呼吸困難におちいるために心臓は耐えられなくなり、運動をやめて心臓を休ませ、呼吸困難の状態を正常な状態に回復させねばならなくなる。

そこへゆくと中国の拳術は、それとは反対の方法で体を鍛える運動である。この種の運動は筋肉や気血の運動であり、細胞の運動であり、運動の過程において、全身の各細胞や器官を同時に発展させることを原則としている。

たとえ運動をして全身の筋肉は疲労して耐えられないといった状態に陥っても、心臓の拍動、呼吸は正常を保持できるばかりでなく、運動したあとはその前とくらべて呼吸は楽になる。つまり、各人の筋肉や心臓が負担に耐え得る範囲内の能力をもって、平均的に階段を追って発展、生長させる運動である。そして、年齢、性別に関係なく健康を維持し、体力を増強させることのできる運動である。また、いかなる招式もないところから頭や神経をわずらわすことなく、緊張もせずに健康になれる点が一般の運動とは異なる。

站椿は、ただ立っているだけで動作はないが、実際には体内の筋肉や細胞は運動を始めてあり、体内の筋肉、細胞の発展、正常な血液循環を目的としている。すなわち外形の変動や動作を探求するのではなく、体の内部を活性化した状態にして、体内の各器官をバランスよく発展させ、心臓が拡張したあとの、病的な症状の減少をめざしている。拳学の運動は大きな動きは小さな動きにおよばず、小さな動きは動かないことにおよばないとする。

この種の運動は中華民族独特の特殊な学術であるが、近来、一般の人から注目を浴びず、また一般の人びとが簡単に理解できるものでもなかった。主観的な認識にもとづいて、ただ立っていさえすればよいと考えるならば、どうして力が湧き、体を鍛えることができようか、と考えるであろうが、それは根本的なことが分かっていないからである。

立ったままで動くということは、急速に力をつけることができるばかりでなく、医学上治療が難しいとされているさまざまな病気を治すことができる。そうしたところから、治療医学や予防医学の面で、かなりの価値をもっており、もっとも生理にかなった運動法といえる。

19 Sep 2020

9月22日 29日の稽古について

22日は祝日ですが、稽古は通常時間通りに行います。

29日ですが、私の所用のため稽古に来れないので休みとし、振り替えとして前日の28日に行います。

時間の都合のつく方はいらしてください。

9 Sep 2020
5 Sep 2020
17 Aug 2020

意拳・于永年老師に聞く③


 前回の続き


私(于永年老師)が王老師に学び始めたのは1944年のことだ。それ以前は身体が弱かったので養生のために太極拳を学んでいた。太極拳、形意拳、八卦掌を一通り学んだが、太極拳の先生が

「太極拳の修業は時間がかかる。大成拳を学ぶといい。あれは”革命的拳術”だ」

と私に勧めた。当時若かった私には、”革命的拳術”とはどういう意味かよく分からなかった。やがて私は、王向斎老師と同郷の医者の紹介で老師に教えてもらえるようになった。当時王老師は五十数歳だった。

大成拳や意拳という名称について様々な意見があり、論争されてきた。この点につき、王向斎老師が四十年代に記した「大成拳論」には以下のような記述がある。

「この拳術は二十年代、一度意拳と名乗ったことがある。”意”の字によって意感と精神の意味を表す」

二十年代は、王老師がまだ上海に居た時代だ。そして四十年代、老師が北京で教えていた頃、張壁が大成拳という名を王老師に贈った。中国武術の精華を結集したという意味で、この一件は当時新聞でも報道された。

しかし、その後どうなったかと言うと、王老師はこのどちらの名前にも満足できず、「意拳」、「大成拳」のどちらの名称も否定し、1947年労働文化宮に「中国拳学研究会」を設立した。従って意拳、大成拳は最終的に「中国拳学」という名称に落ち着いたというのが私の見解だ。残念ながらこの研究会の当時の写真が見つからないが、私自身がこの研究会の発起人の一人なので間違いない。

なお、北京には当時「中国拳学研究会」と「北京拳学研究会」が存在したが、「北京拳学研究会」はまだ成立していない。

だから王老師は、学生に教える際にも「中国拳学」という名称を用いたが、一般には大成拳の名で通っていた。意拳という名称が再び使われるようになったのには次のような事情がある。

北京では80年代中頃に姚宗勲が国家体育運動委員会(体育、スポーツを管轄する中国政府の機関)が設けた特別学習班に拳術を教えた。このとき姚宗勲は意拳という名を用いている。

また、南方に下った韓星橋と韓星垣の兄弟が、意拳の名称を使って教えていたことも影響した。韓星橋は現在広東省珠海におり(2004年没)、その弟の韓星垣は49年以後、香港に渡りそこでこの拳術を教え始めた。韓星橋は当初、組織の名前を「大成拳社」としたが、やがて意拳に改めた。

一方、北京では大成拳に対するイメージが悪化していた。まず、姚宗勲のグループが、そして解放後には王選傑が度々喧嘩をしていたからだ。乱闘の規模は新聞に載るほどで、大成拳と言えば喧嘩を好むヤクザな武術というイメージが定着してしまった。そのため、姚宗勲も大成拳の名前を使いたがらなかった。

意拳という呼び名が急速に広まったのは、香港との往来が解禁された85年以後だ。香港との行き来が始まってから、香港では意拳と呼ばれていたことが知られ、また王向斎老師が「意拳正軌」という本を残していたこともその頃分かった。王老師は生前、この本について少しも触れたことがなかったためだ。

この問題には結論はない。私自身は大成拳と呼んでいるが、呼びたいように呼べば良いと私は考えている。しかし歴史は説明した通りで今更変えることはできない。王向斎老師が47年に設立した研究会の名称を「意拳研究会」であったと主張する者がいるが、これは事実の歪曲だ。

諸説では王老師は送られた大成拳の名を「ふさわしくない」と返上し意拳と名乗ったという話を聞くが、私が1944年に王向斎老師に学び始めた当時にはこの拳術は大成拳と呼ばれており、王老師は意拳という名称では呼ばなかった。

 

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