站椿功(立禅)とは?
站椿療法とは?
太極拳や意拳、太氣拳などの基礎練習法の站椿功(たんとうこう)、立禅とも呼ばれてますが、站椿は中国では、様々な慢性疾患を治療するためのメディカルスポーツとして使用されていたため、「站椿療法」と呼ばれていました。
この種の練習法は非常に特殊であり、一つのポーズを動かずにじっとしているだけで、一般的なスポーツや武術では、"運動は位置の移動”に基づいていますが、大成拳の「立禅」の動きは静止していることに基づいています。
したがって一般の人やこれを練習をしていない人は必然的に次のような疑いを抱くでしょう。
「動かない状態を『運動』と呼べるのか」
99%の人が「動かなければ運動ではない」と考えるでしょう。
「速度がなければ運動ではない。力がなければ運動ではない」
しかし意拳の站椿は全く反対で、速度も力も必要な条件ではない。位置は移動せず、また力を入れるどころかリラックスが必要である。
樹木は動かず、じっとして立っているだけであるが、果てしなく成長し、しっかりしています。
この自然現象の摂理を考慮にいれ、中国の古くから働く人々が「站椿功(たんとうこう)」という訓練方法を生み出しました。
二千年前の本「黄帝内経素問」には、「天と地を取り、陰と陽をつかみ、生命の本質を吸収する」と站椿の根本的な考えが説かれています。
今日、站椿は武道愛好家のための基本的なスキルであるだけでなく、優れた効能を持つ医療スポーツメソッドでもあります。
予備的な実験的観察によれば、病気の治療などに、予想外に良好な結果が期待出来ます。
“站椿療法は、医療の最大の懸念である副作用がありません。 気功でよく言われる入静する必要もないので、呼吸を意識的に調整する必要はありません。また、意守丹田や大周天・小周天を気にする必要もありません。
室内や屋外を問わず、日差しが多く新鮮な空気が多い場所にある限り、まるで木のように立っていて動いていないかのようにポーズをとり、自然に呼吸し、全身を「ゆるくてゆるみのない、きつくて硬くない」状態に保ちます。
立ち姿勢はたくさんありますが、方法は簡単で、練習時間は自分で掌握できます。
一般的には5分から1時間までなので、男性、女性、子供は体調に合わせていつでもどこでも運動できます。
人は、特定の自己防衛能力を持ち、ウイルス、バクテリアなどの外来敵に抵抗する抗体を生成することができます しかし、この能力は人によって異なり、同じ人でも時々異なります。外敵に対するこの抗体の反応が遅く、弱い場合、傷に侵入したり、体内に隠れたりします 。細菌が体内を駆逐して破壊を行いますが、逆に抗体反応が早く効果的であれば、それらの外敵はできるだけ早く一掃され、体は安全になります。
また、站椿は心拍数を上げずに脈拍は若干速くなり、血流が促進します。血流が良くなれば、全身に栄養が行き渡り、不用なものは流されて免疫力も向上して、病の防止に繋がります。
一度に30〜40分立つことができる人は、体液の循環や代謝の改善によりめまいが消失したり、頭と胸がとてもリラックスしてリフレッシュしているように感じます。
定期的な身体活動は、高齢者の安静時の心拍数を低下させ、心拍ごとに送られる血液の量が増える可能性があります。
立つ運動機能を遵守することで、血液循環と呼吸器系の機能を改善し、筋肉の収縮力を高め、偶発的な損傷から関節を保護し、高齢者の関節が硬化するのを防ぎます。
同時に、練習後に体のカルシウム含有量が増加します 骨の解体(骨粗鬆症)に抵抗する体の能力も強化できます。
高齢者には、特に身体機能低下の予防に最適な運動と言えます。
站椿功は武術の基礎練習法
中国武術の鍛錬と気功は不可分なものです。気功という理念や技術がなければ、中国武術は一般のスポーツや西欧の格闘術と同様、筋力的な威力を求めて肉体を鍛えるだけのものとなってしまいます。
中国武術では内功と呼ばれる鍛錬が必須。それは体内に秘められた功力(身体の地力)を内気の充足、流動とともに増幅させる鍛錬法で、いずれも丹田呼吸法がベースになっています。
ここで行なう気功は、武術の鍛錬で必要な基礎となるもので、それを行なうことで敵と闘える強い身体を作り上げ、機能的に動ける体に仕上げていきます。闘いは元気でなければ勝ちはありません、なので武術気功を行なうことは健康な身体を手にすることになるのです。
一般に行われている健康法や治療法としての気功は、“気功の初歩にすぎません”。相手(敵)から身を守る武術としての気功を学んでこそ、初めて自分自身の身体感覚がわかってきます。
闘いにおいて相手を制するためには、強大な力を出した方が有利なはずですが、力に頼らず、肩、腰、股から力を抜いて、相手のバランスをとり、無駄のない合理的な動きをすることが重要です。身体の力をエコに使うことです。
要するに身体の力を“上手く”抜くことが大切なのです。
ただ、体から力を抜き切ることはそう容易ではありません。相手の存在を意識した途端に、あるいは「力を抜こう」と意識した途端に体は自ずと力んでしまいます。
理想的な自分の体勢をとるためには、結局肉体だけでなく、人間の内面や意識の鍛錬、心身の自由自在のコントロールが必要になってきます。
太極拳、形意拳、八卦掌、意拳(太氣拳)などの内家拳はスポーツではありません。西欧のスポーツはひたすら力に頼り、激しい動作によって肉体を消耗する。
しかし内家拳は力を無駄に用いないから、体を動かして、たとえ汗をかいたとしても息が上がるようなことがありません。腰や内臓にも負担がかからないので、老人でも病人でも誰でも実践することができます。
站椿功(立禅)を行う意義
【静功が目指すもの】
気功の目的のひとつである不老長寿、健身という立場から静功の効果をみるならば、それは体内のストレスを取り去り、各臓器の働きや気血の流れを盛んにすることです。
最近の医学の臨床研究では、心身を安静にしていくと免疫力や自然治癒力が高まってくることが明らかにされている。
気功における静功は元来、道教、儒教、仏教の静的瞑想からきており、周りの事物に感覚や意識がとらわれず、また過去や未来のことに思いを巡らさず、今ここに「在る」だけになりきることである。体内に意識を集中し、体内に起こる微妙な変化や動きをただながめていくのである。しだいに心は澄み渡り、凪いた水面のように広がっていく。
そこでは、姿勢を落ち着かせ、呼吸を整え、意念を集中させ、これらの調和によって体内に中心感覚が形成されます。つまり背筋を伸ばした姿勢を保つことで体軸が形成され、気を沈めて心を下腹におくことで、下腹部に丹田を感じてくる。
その結果、体の姿勢が整うだけでなく、内臓の働きが活発になり、全身に活力が満ちるようになってきます。
*静功には、立禅(站椿功)、静坐功(坐禅)、臥式静功などがあります。
静から動への転換
【動功とは】
動きを伴う養生法は起源が古く、紀元前1000年前後の殷・周の時代には古代中国舞踊として、祖先や神に狩猟や収穫を祝うときに舞ったとされる。
それが祭祀における舞いという意味から離れて、人々の健康を利するための健康法として用いられたと考えられている。
動功は、その名称どおり肢体を動かして練功を行います。古人は様々な動作を考案し、肢体の屈伸、回転運動、前後屈などで、これらの動作をもって全身の気と血の流れを伸びやかにし、各関節の動作を調整し、筋骨を強化します。
体の各部を個別に鍛錬することで局部の機能を高め、病人の場合は疾病内容に応じた功法を選択することで、症状の改善を期待することができます。
多くの動功法では呼吸法に併せて鍛錬するが、自然呼吸法が最適で、呼吸法を意識し過ぎて過渡になりすぎたり、息をこらして行なってたら意味を為しません。
意念の運用も動功においては重要で、動作と意念を結びつけて行わなければなりません。練功を行なう過程では必ず精神を集中し、動作に意念を合わせるようにする。動作と呼吸を協調させようと意識することで、意念を鍛錬することになる。
病気になる人とならない人の違い
東洋医学には「虚実」という考え方があります。
健康な人が徐々に病気になると「正気=病に抵抗する力」と「邪気=病を起こすもの」が戦います。
体内に「正気」が「邪気」より多ければ、その人は「実」の状態で病気は大事に至らず元気に。
一方、「正気」より「邪気」が多ければ、その人は「虚」の状態で病気の回復は遅くなります。
健康は人には「邪気」の勢いを殺して治療すれば病気は回復します。
ところが「正気」が健康人より少ない人が現代人には多いようです。
例えば、疲れがとれにくい、食べたら胃もたれしやすい、ぐっすり眠れない、など“病気とはいえないが何となく不調”な方が多い。このような方は体質的に「虚」の状態で、他の人が元気なのに季節の変わり目に風邪を引いたりする人などが、これに該当します。
虚証になる「正気」が衰える原因は人によって様々ですが、多分にライフスタイルが影響していると思われます。
東洋医学の治療では「虚証」に対して気血などを補う「補法」の治療を施します。一方で健康な人が「邪気」の勢いに負けて病気になった人には「邪気」を体から追い出す「瀉法」を行います。
つまり、体に過剰なものがあれば排泄し(瀉法)、足りないものを補い(補法)、身体内部のバランスをとって病を癒し、健康を保っていく、というのが東洋医学の考え方。
この考え方は、気功法にも適用されていて、動功は瀉法で静功は補法とされています。
動功では動作をもって邪気などの体内に溜まった不要な気を掃除して、内気の流れを活発にしていく。
静功は外部からの気のエネルギーを取り込み、体内を循環させて心身を養っていく。
動功、静功が陰陽の関係となり、相互に補完し合いながら養生という目的をはたしていくのです。